インプラントに関するビジネスと今後
日本の医師は専門医として活躍できる場が少なく、大多数の医師は最近まで伝統的な個人開業の道を選んできた。
こうした状況が専門医や病院団体の発達を阻み、日本医師会の勢力の源泉になったといえよう。
したがって、診療報酬等による制度的制約が医療観閲の機能分化を阻んだことは事実であるが、むしろ各医療機関が自然発生的に誕生したため、分化はもともとしていなかったことに対応して現在のような診療報酬となった要素のほうが大きい可能性がある。
なお、こうしたトップダウン方式による近代化は医療以外の他の分野でも広く採用されており、それが現在に至るまで根強く残っている官尊民卑の原因の一つとなっている。
また、このような方式が定着した理由として、歴史的背景と同時に、同僚との横つながりよりも、師弟関係を重視する日本の縦社会の構造も深く関係していると考えられる。
しかしながら、一方では医療制度のすべてが歴史や文化によって一方的に規定されたと見ることもまた行き過ぎである。
必ずしも国民の目に見える形で明確に提示されてきたわけではないが、政策目標は存在し、遂行され、しかも長期的な展望に立てばおおむね成功を収めたといえよう。
こうしたプロセスを理解するため、明治以後を五つの時代に分け、それぞれの大きな医療政策の目標を整理すると、次のようである。
一、明治から日中戦争勃発まで一漢方から西洋医学への転換二、日中戦争から終戦まで一国営医療体系の構築三、占領時代一アメリカをモデルとした医療体制の改革四、占領以後から石油ショックまで一だれもが受診できるようにするための医療機関の整備五、昭和五六(一九八一)年から現在まで一医療費の抑制上記の目標のうち、成功しなかったのは、皮肉にも強い信念と強力なリーダーシップが発揮された二と三であり、漸進的なアプローチがとられた一、四、五は成功している。
すなわち、西洋医学への転換はほぼ完全に達成され、病院の数は大幅に増え、さらに医療費は抑制されている。
このように分析すると、医療政策に求められるのは、現在の問題点に対して快刀乱麻を断つような一見明快な解決策ではなく、むしろ長期ビジョンに立った漸進的なアプローチであるといえよう。
確かに日本の医療はこれまでにない大きな変化に直面している。
老人医療、とくに長期療養を中心とした入院医療の増大、大学や公的大病院への患者の集中、診療所志向医師の減少などのほか、最も大きな変化は拡大路線の時代が医療の分野においても終わったことである。
そして病院の病床数が制限された状況下で医師数が増加すればかつてのように開業以外には活路を見出すことは難しい。
しかしながら、医師の開業医志向は必ずしも十分に高まっておらず、何よりも問題なのはこれからの高齢社会において求められている福祉との密接な連携ができるような医師の養成が進んでいないことである。
以上のように社会構造の変化によって、医療現場においてさまざまな矛盾が生じているが、それに対して短兵急な解決策に走ることなく、現在の体制の歴史的基盤を十分考慮するべきである。
そこで、本書においても、以降の章において日本の医療の他の側面について解説した後、筆者の解決案の提示を最後の章に譲ることにする。
病院や医師は私たちになじみのある身近な存在であるのに対して、医療保険は大多数の人々にとってあまり関心がない分野である。
たとえば、サラリーマンの場合は保険料が毎月の給与から自動的に天引きされていることもあって、一体いくらを払っているのか、またその額が他人と比べてどのくらい多いのか、少ないのか、という疑問を抱いたことがある人は少ないであろう。
そこで、本章では前の章とは順番を変えて、まず医療保険の仕組みを簡単に説明した後、日本の制度に対する評価が「公平」に対する考え方によって大きく異なることを前半部分において説明する。
そして後半部分において、戦前における社会保険制度の勃興期から介護保険導入の検討が行われている現在に至るまでその歴史的経緯を概説する。
医療費を支払う方法として柏対立する二つの考え方がある。
一つは「自由」を重視する立場から、医療も他の保険分野と同様に、リスクの程度(たとえば火災保険ならは木造か鉄筋か等)および事故に遭遇した場合の保証範囲二〇〇〇万円か一億円等)に応じて保険料を決めるという考え方である。
この考えに従えば、普段健康に気をつけている人が自堕落な生活を送っている人と同じ保険料を払わなければならなかったり、またお金に余裕があっても最高の医療が受けられないような体制は「不公平」である。
もう一つは「平等」を重視する立場から、医療は「だれでも、どこでも、いつでも」平等に受ける権利があるとする考え方である。
この考えに従えば、前の年に病気をしなかったからといって保険料を低くすることを求めたり、金持だからといって最高の医療が受けられるような制度こそが「不公平」である。
以上のように何を「公平」と考えるかはいずれの立場に立つかによってまったく異なる。
前者に立てば、医療の分野も生命保険や損害保険と同様に保険会社に任せておけばよく、政府が介在する余地は少ない。
ただし、そうなると病気になるリスクが高い人、およびお金のない人は医療保険に加入できなくなる。
ちなみに、高血圧症があれば生命保険には通常加入できないが、それはこのような死亡するリスクが相対的に高い人々の加入を認めれば保険料が当然高くなり、健康な人からは敬遠されるからである。
病気になるリスクを厳密に予測するのは難しいので、アメリカの保険会社では次のような対応がされることが多い。
第一は、過去の給付実績に応じて保険料を算定する(前年度の医療費が高ければ翌年度の保険料は高くなる)。
第二は、契約時にすでにかかっている病気や既往症については給付の対象から除外する。
第三は、個人単位ではリスクの算定が難しいので割高の保険料が適用され、団体契約(職場単位等)の場合は低い料金が設定される。
以上のようなメカニズムが働くために、医療保険に加入できない人々が必然的に発生する。
なお、第一と第二の点は保険があるから病気に対する注意を怠るというようなモラールハザード(倫理の危険)に対応するためにも必要である。
一方、反対に後者の立場に立てば、政府が大きく関与する必要がある。
つまり、能力(収入)に応じて金持には多くの負担を求め、貧乏な人には求めないが、いざ医療を受けるときには、納めた保険料の金額に関係なく、だれしも平等に扱われる、という社会主義の応能負担の原則を適用する必要がある。
そればかりでなく、国が定めた基準よりも良い医療を受けようとする患者の動きも、またそれに応えようとする医師や医療機関の動きも取り締まらなければならない。
もし医療保険についての基本的な考えを「自由」か「平等」のいずれかに徹底できれば、制度の構築は容易である。
「自由」ならば、保険会社に任せておけばよく、逆に「平等」ならば国が所得税のような累進課税によって財源を確保し、医療機関をすべて公営にする必要がある。
ところが、いずれの場合も前述したように大きな問題が生じるために、実際には何らかの妥協がどこの国でも図られている。
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